History of Cava

-あるいは隣の億万長者でいっぱいの世界。

theme17-信念

ひさびさにブログを更新することにしました.

別にこれといって, 特別な理由はないのです. ただ, ここ数か月は今までの倍ほど僕のブログを読んでくれる方が増えた傾向が感じられた(単純にアクセス数が増えたということ)ので, 流石に16記事程度しかなく, ほとんどが即興で書かれた釈然としない悶々としたものばかりだったのを反省しています(本当か?).

 

なので, 今回は"思考の掃き出し法"=考えることは言語化するべきだ, ということについてざっと, 僕が言葉に落とし込める程度に語っていこうと思う.

 

僕は普段から, 何かについて考えることはよくあったけど, その考えている物事そのものを実際に形として, 文章にしたりすることはあまり得意ではなく(むしろなぜブログを始めたのかすら不思議だ), 良くも悪くも論理的に思考するということが苦手なんだとずっと思っていた.

だからこそ, 突発的に湧いてくるエネルギーを利用しないと, 僕はブログを書くほどの力と能力は持ち合わせていないと, ほんとについ最近までずっと思っていたけれど, こうしてブログに書くまでは胸の内に秘めた思いであり, 苦悩でもあった. 

 

言語化できないということは, つくづく怖いことだと思っている人はどのくらい存在するだろう.

メタ認知するまでは, 別に脳内で考えてさえいれば思考力だとかメタ認識だとかは, 普通の人よりは身に付いていると傲慢ながらも, なんなら自負さえしていた.

 

しかしだ, 

 

そんなのは全くなくって, 考えるということは到底踏破することが出来ないような絶望的なまでに高く聳え立つ山脈のようだったり, わずかながらもこの果てしない世界を捉えることができる両の眼よりも優れている保証にもならないだろう.

 

これは思考する絶望だ.

 

考える行為そのものには, 価値なんてものは鐚一文ありはしない. それは金銭的な価値尺度を持ち出せば, 今言ったことに反論することは可能だろう. 反論したことで得られた成果は, 何か特別な形として与えられるのとしたら, それは文脈同士が対立し, 闘争したことで, 何かしらの仮想敵を打ち負かしたと主観的に思ったからこそ, 反論に価値が与えられたのだ. 

 

勘違いしてはいけない. 

自身の思考結果, 出力して発生した物事は, それを別の主観者に認められなければ, 負の永久機関として, 全く予期しなかったエネルギーが全身を駆け巡り, やがては肉体をも拘束し, こころの核にその範囲を広げ拡充していくことだろう.

 

恐ろしいことだと思わないか?

 

自分の目にしている世界が自分のものではないことを.

だが, 僕らはそれでも考える怪物と闘い, 常に自身の奥深くの意識の暗い井戸の中のもっとずっと深くで, 静かに脈動するその意思と向き合い続けなければいけない!

 

今日では, 思考法の重要性だとか, 不確実性がより牙を剥く世界では,幅広い知識が必要で, 空いた手には世界を見通す地図も必要だと説く(つまりは教養である).

 

そんなものを信奉して生き続ける生活が好きな人はきっと, その辺の人よりは多くの書物を読むだろうし, 多くの経験を得ることができるだろう.

 

だからなんだって言うんだ?

 

人よりも, より真理に近づいているという感触を得る程度の考えならそれでいいだろうね, と僕は考えるし,  たった人よりも多くの事柄を知っているだけ優越感に似たナニカを体感することができるならそれはそれで問題ないだろう. 

 

そこで一つ, 

 

ここまで読んでもらって申し訳ないとすら, 僕は思うのだけど, この文章を読んでいる貴方自身は, 僕がいま伝えようとしている思いを, 考えを, 感じ取ることができましたか?

 

文章は陳腐でつまらないから, こんなもんを読んだところで何がわかるっていうんだとか諸々言いたいこと, 主張は多くあるのかもしれないけれど, 本来物事を1つひとつ意識の核の中から, 脳内の眠れる図書館の引き出しから, 今の自分に合致した言葉を選び取り 表層させるという作業は少なくとも, 僕を含めても含めなくとも, 拡張したとしても, 完全にある対象の書いたであろう文章, 文字から読む限りで知るということは不可能だということです.   

 

いかがでしたでしょうか?

 

つまらなかったでしょう.

まあ, 読書等で浪費する時間というのは大変つまらないし, なんなら人生が特別豊かだと錯覚させるにはもってこいのものなんですよね.表現するということは.

 

end.

 

 

 

 

theme16 - i ヲAI シテ.

無機物にとっての知性とはなにか.

AI-artificial intelligence は,僕らの持つ複雑極まりないうねり,あの小さな頭蓋骨の中に収るほどの大きさしかない脳という器官を模倣するどころか,それを凌駕する日がやがては訪れるのだろうか.

映画エクス・マキナEx-Machinaでは,それを示唆するような描写で幕を閉じた.

劇中では,「愛するか,愛さないか」どうかを二択でチューリング・テストを試みようと考えていたけれど,途中Ava sessionの回を重ねるごとに,黒幕と思われていたネイサンが,その人間にはもう一つ選択肢があり,彼女は(劇中でのAIエイヴァは女性という設定),そのあらかじめ設定,プログラミングされ規定されていた事以外を実行しようとしていることに気がついた.

しかし,ネイサンが諭すまでもなく,本作の一応主人公的なケイレブは重大な過ちとも言える事態を引き起こすきっかけになり,sfファンや理系知識の方が観るならば,それこそ,”機械仕掛けの神”エクス=マキナ,強引なハッピーエンドという有無を言わせない皮肉的なやつだ.

最後に,第三の選択肢とは,「愛しているフリ」をする事に物語の全てが凝縮されていると僕は思う.

youtu.be

 

P.S.

そういえば,ブログを書かずしてかれこれ長い時間を有してしまい,やっと書けたのはいいんだけど,映画についての記事になってしまったので個人的には思う存分書いたなあって気にはならないという,よくわからない自己矛盾に陥ってて更新記事書きました.久しぶりですが,今年もよろしくお願いします.

 

  

theme 15- 充填された意識

 

更新頻度はあいかわらずだけど, 月一単位での更新が割と気兼ねなく書くことができたりするようなしないような気もありますがアクセス数等は一切考慮していないこともあって, そこまで必死こいてブログを書く意味はないです(笑).

しかし, 自分の中にあるナニカを絵で描いてみたり, スポーツで体現したり, それこそ僕の場合はこうしてブログを書いているわけですから文字に起こしたりとそのナニカを表現するということはかなり重要なことなんじゃないかと僕は常々思ってたりする. それはなぜか, 僕らは常に何かしらの圧力や環境変化etc..といった, 自分1人個人の力では到底変えようもない絶対的であり自然的な力に晒されているからなのです.  特に, 昨今ではsnsを中心としたインターネットでのインフラがほぼ普及し, 従来では一生の間にたぶん(いや99%誇張かもしれないが)出会わないであろう人たちと, 知らず知らずのうちに液晶の画面越しではあるが出会うことになる. 僕が生まれる前までは, 物理的に人と人とが直接的に出会わなければならないといったことがなくなることで, 比較的容易に従来と同じように出会うようなことができる時代になってしまっている.

おそらく, これらが吉と出るか凶となるかで人によっては大いに関係したりするのにもかかわらず, これらの見えない繋がりは僕を緩く締め付ける.

 

逃げる術はない.

巷ではスマホを捨てよ, インターネットをするな等さまざまな謳い文句を掲げる人間も多いが, 僕個人の主観ありきで言わせてもらうとすれば, そのようなことばかり気にしているようでは結局のところ, みな繋がりが切りたくても切れないことに対して不満を抱いているのではないかと思う. 完全にこの世からの全てのアクセスを断とうものなら, そもそもブログなんて書くわけがないだろうし, わざわざ発信するようなことをせずに1人で勝手に実行し満足してればいいのだ.

 

見えない鎖で僕は, いや社会に知らず知らずの内に繋がれている僕らに希望的観測というものは果たして存在するのだろうか. あるとすれば, それは真に周りのテクノロジーを放棄し, 原始的な, あるいはそれに近い半自給自足な生活をすることが求められるのだろうか. 答えはない.

 

それを自分はこうこうこういう状況があって今に至るみたいな話しは, 「うん?あなたはなんだかんだ戻ってきているじゃない」. もはやこの世界で生きていく以上は繋がりはIT環境が整っていなかった時代と比べると呼吸するのと同じくらいごく自然なものにまで人間に纏わりつき, 癌のように転移する人がささやかな人生を終えるまでは切り離せない領域まで浸透しているのだ.

 

抗ってはいけない. これは川の流れのようなある方向に対してのみ働く代物ではないからだ.

例えるのなら, 脳神経のニューロンをイメージするといいのかもしれない(僕もあまり詳しくはないが).一見単純そうに見えるモノであるが, 蓋を開けてみるとわかるようでわからない. 理解しようにも人間を理解しようなんて大層れたことをする前にこちらの気が滅入ってしまう. このように考えに考え過ぎると精神に悪い. 最悪, 毒を吐きまくる上に, 周囲の人間にとっては有害極まりない, 社会的に駆逐しなければいけないようなことにまで発展してくる. だが, 僕らはそこまで愚かでもないし, 皆は自分の方がどこかその他の人間よりも優れていると密かに抱いていたりするものなんだ.

 

 

 

theme 14- お金がほしい?精神的安寧がほしいのか?

 

みな, 口を揃えて「お金が欲しい, もっと自由に使える時間が欲しい...(それこそ数えきれないほどの欲があるし、大体の人はこの2つを多く望むだろう)」など, 社会や他人に向かって僻みや皮肉を込めて口にする.

 

ただし, これらの欲は全て''自分を中心とした世界''を前提としている, ということに注意してほしい.

なぜ, みなお金や時間が周りの人間よりも多く欲しいはずなのに, それらに関係しないもの(相関性のない事物)に費やしてしまうのか. ぼく自身, こうやってブログに時間を割いている時点で他に使えるであろう時間を無駄にしているのだから...

 

たしかに, こうしてブログを書いている間は一銭のお金も貰えないし、むしろ書いているぼくが時間という対価を払っている側でもあるのだ. 別にここまで大きな犠牲を払ってまで得られるものは, 個人差はあれど, 一種の満足感や優越感ぐらいしかないと思う.

 

しかしだ!!不満や不平を口にすることは簡単で小学生にだってできたりする!!!!

 

それもただ口にするということは煙草と同じで, 燃え尽きてしまえばそれまでなのに...

そして, また何か事あるごとに悪態を吐く.吐く, 吐いて吐いて吐きまくる.

大体の人は感情を吐き出せばスッキリするよ, というようなことを聞いたり, 見かけたりするのだけれど, それは必ずしも一致しないことの方が多いと思わないか?? 

 

なにせ, 相手が延々とネガティヴ要素しかない言葉を口にするのを聞いただけで,  聞いているこちらにも二次被害の形で(当事者よりも被害が大きかったりする)やってくるなんて, そんなことを平気でやる連中は自分が最も優れている(あるいは少なくとも君よりは出来る)という盲信にすがることしかできない哀れな人たちが, 自らの鬱憤を晴らすために他人の感情領域まで侵していいなんて聞いてないぞ.

むしろ, こんなやり方を推奨した人が悪いのだろうけど.

 

そうやって, 内側からやられていった人はやがて外的なものに目がくらみ, 身の回りの全てを物で覆い尽くそうとする. それは見栄であったり, 寂しさを紛らわそうとしたりするものであったりするかもしれない. しかし, このような物理的方法で豊かになればなるほど, それこそ欲求が無限に湧いてキリがない!!あれも欲しい!!これも欲しい!!あぁ!!なんなら, お金がもっとあればいいのに!!

 

そうして, ぼくらはお金を必要以上に求め, 社会に荷重的な負担を負わせてしまう(回りに回ってくるのは当の本人だとは知らずに)...

 

世界中の人たちが鈍感であれば, 何も気にはしないだろう.

だが現状は, 多感的である人の方が多い!!

 

自らのネガティヴな要素を吐き出すために, 他人をネガティヴにさせる. 

こんな悪循環はあってはならないと皆が皆, 真剣になって考えている. 

 

残酷にも, これらには答えはない.

 

確かに豊かになるための方法は数え切れないほどあるが, 僕からするとどちらも変わらない.

お金はあればあるほど困らない. 本を読めば読むほど精神が豊かになる.

 

こんなの本当はどうだっていいんだよ!!

 

それらは全てこじつけで, ただ偶然成功した人たちがそうやってきただけに過ぎないというだけで, 参考にする方が馬鹿馬鹿しい. 

 

本来は, 生活に負われながら1日1日生きるのがやっとなんだくらいがちょうどいいんだよ!!

そこには物質的豊さも, 精神的豊さも存在しえない!!!むしろ存在してはならない!!

 

しかし, そんな生活している人なんて今の時代ほとんどいるわけがないし(いるのなら是非とも会いたい), 命の危険に怯えて生きる人の方が珍しいと感じる人の方がはるかに多いことだろう.

 

では, そんな明日の生活にも危険にも心配しなくていいのなら, 何を心配するのであろう!!

仕事??人間関係??そんなことに悩むことができるのは贅沢な人間だけだ.

 

自分は劣っていると心では思っているくせに, 他人に対してはさらに軽蔑的な目を向ける.

ひょっとしてこれは矛盾していないか?

 

そう!!ぼくらは矛盾して生きている!!

これが一番重要ではないのだろうか. 矛盾もない完璧に生きようとするから, そこから一歩も動けずに泥沼にハマり, 余計に身動きが取れなくなってしまい最後は自分の首に手をかけてしまうのだ.

 

矛盾を感じながら生きるのはそんなに辛いこと?難しいこと?

贅沢に生きようとしなくてもいい.

自分の足で, ゆっくりと歩いていけばいいんだと僕は思う.

 

 

終わり

 

 

P.S.

いつもいつも即興的に書いてしまうので, あとあと読み返して見ると違和感しかないけど, これはぼくのためのブログなので紛れもなくぼくに向けて書いているので読みづらいと思っている方はごめんなさい... ブログはやっぱり月一でバッと書いた方が気持ちよく書き殴れます(笑)

 

 

 

 

 

 

 

theme 13- おれの声を聞け。

 

僕は他の人が書いているブログを読むことがあまりない.

割りと, ブログを書き始めた頃は(このブログを開設するまでに何回かは作っては削除をしていた)はてなグループから目ぼしい人を見つけては読者登録をしたり星を送ったりしていたけど, あんなのはtwitterと全く同じで, 大して面白くもなんともない記事ばかり書いているのに異様に読者数が多い(または星が付いていたりetc)ものやら, 大方ランキング上位以外は相互フォローの上で成り立っているということが多いのでは?? と, 考えるようになってからは他人のブログを読むことやましてや定期購読するとかほぼほぼなくなりました.

 

ましてや最近のブログは「〜だと思ったら〜だった件」「〜について〜が感じる〜な話」みたいなそれこそ数えきれないほどのラノベ風なタイトルでいかにも面白そうだ, という記事を見かけたりするがいずれもタイトルだけで内容が推測できてしまうし, ブログというよりもマーケティングに力を入れる風潮が強い気がするのは僕だけなのだろうか.

 

製品や本のレビューにAmazonのリンクを貼ったりして稼ぐことが目的なら, 別に構わないのだけれど, 単にブログを人を集めるだけの道具として使い, 自分には発言力があるんだみたいな記事を見つけた時は正直あまりいい気はしない. 

 

まあ僕自身, 言えたことではないけれど, 僕が目指しているブログというものは誰が読もうが読まないが構わないというスタンスでやっているだけのことなのでただ人に僕の話を聞いて!ねえ!みたいなやつが嫌いなだけで, そのようなブログを書いている人には申し訳ないけど.

 

他にも, 映画1000本観てきた私がオススメするみたいなものは実際ほとんど観てきてはいないのに(映画数を数えたことあるのかこの人)検索上位でヒットしてしまい無駄足になってしまうのは本当にイヤなので, Googleはもっとアクセス数もそうだけど内容がゴミクズレベルの一般ブログを検索上位に載せないでくれ以外の感情がない.

 

全く作りが同じブログばかりがヒットするので, 自分が信用できると思うようなレビューやブログなんてもしかしてひっそりと誰にも知られずに運営してるんじゃないの?とか思ったりするわけなんですが,  ほんとうにすごいこと(面白いこと)が書いてあるブログほど下位の方にあって, 彼らのブログってサイトがお粗末なので(僕のようなテキトーに作りました)ほぼ開設した時のままであることが多いような気もする.

 

もし, これから真に面白いブログを探している人がいたら, あえて人気のあるような(検索上位にいるような)ブログは是非見ないようにして, その後ろに隠れているブログを読んでみてはいかがでしょう.

 

P.S.

炎上商法ばかり使う人間は, 自分は商売の才能ないので放火します. と宣言しているようで, それはそれで一種の才能が感じられるけど見ず知らずの人たちのヘイトを集めてまでしたいのか?とは密かに思ったりもします

 

theme 12- 抱負を込めて

2018年, あけましておめでとうございます.

なんだかんだで, このブログを続けて半年??近く経ちました. 

こんなにも不定期更新が続くブログでも少なからずアクセスがあるのを解析から見ると, 「あぁ..さすがに1ヶ月に1回の更新はしないとダメだなぁ」とか思ったりもするけどしないってのが定石になりつつあるのはアレですね(ブログをやっている人間としては)(笑)

 

というのも, 徐々に(自分にとって)第二の進路選択をしなきゃ精神的にヤバい状況になるって考えが加速度的になっていったために, 18年を迎えるまでにまずは思考停止の流されるだけの日々ではなく一つの手段として, 目標として状況打破の戦略が必要だと.

一度は大学を途中リタイアしたので, 「社会人になってみる」というのも考えたのですが僕の住んでいる地元ではどうもピンとこないし, そもそも社会人ってなんだよって話.

 

確かにアテもなく, アルバイトをだらだらと続けていくと底なし沼のような地獄に嵌るのも大いに考えられるし, 周りからの目や友人たちとは疎遠になっていくという負の連鎖があるのは染み染みと感じているのでそれはわかる. しかし, ただ一概に定職を持つということに執着してしまうとそこが着地点となり, じゃあその次は?ってなるわけですよ.

 

働くことが最も安全で生活が保障されるから安心とか, そのようなコンサバ観を向けられても困る人も中にはいるってことを忘れないでほしい. 別に働かないことを肯定しているわけではないし, 少なくともバイト(フリーター)をしている時点では「一応働かないとな」って意思も明確ではありませんが, 持っていると考えていいかと思うので, そのような人たちに寄ってたかっては社会人という労働者は同じクワドラントにいるもの同士なはずなのに蔑んだり, 憐れんだりするというのは何様なんだって内心思ってたりする人もいるかもしれない.

 

まあ, さすがにずっと諦め悪くフリーターを続けている人たちは抜けようにも抜けられない底なし沼にズッポリと嵌ってしまって自分ではどうしようもない状況になり, 現状を打開するよりはもういっそのこと流れるがままに流れてしまえって逆に開き直ってしまっている, ということこそが偏見を生むきっかけとなり, ますます両者の溝が深まっていくばかりでさらに追い討ちをかけるように社会人にならないと将来お前もこのような人間になってしまうぞ, と戒めにもなるからこそ社会人になることこそが最良の選択であり, 決断であると結論付けてしまっている世の中だと思う.

 

別にこれらからフリーターを擁護しているというわけではなく, 自ら進んでフリーターになったということは何らかの意思があり(夢を追うために, ニート引きこもりからの社会復帰etc)一時的な解決策としてその道を選んだことに他ならない. 

それを個人の主観で全否定するようであっては, 人格そのものを否定することになり同じ人として見ていないということにもなると思うのです. 

 

しかし, この考えも僕一個人の意見に過ぎないのでこれを鵜呑みしていいってわけもありません. その答えは他人から教えられるものではなく, 自分の頭で考えたことがその求めるべき答えなのではないか.

これだけ一丁前なことを書いてはみても, 僕自身その答えが未だにうまく出せていないので説得力には欠けますけどね(笑)

 

と, ここまで新年早々だらだらと書き殴っているけどもそろそろ今年の抱負と再進路について書かないと字数が膨らんでしまうのでここから!! ↓

 

「今年の抱負と再進路について」

 

抱負

・上京し, 親元から完全に離れ自立する

 

再進路選択は, 「もう一度大学に通う」ことになりました. 

主な理由としては,

前回中退するに至った大学では, その時に学びたいことも対してない状況で入学してしまったので完全に中高生のような感覚で通っていることに違和感を覚えそれからほんと偶然ではあるけど, その大学で興味があって受講した講義(専攻分野とはあまり関係ない)の先生の語る分野がすごく面白くてそれにそそられてその分野の最先端で学んでみたいと密かに抱いたことから, このままこの大学(悪く言っちゃうとfランなので期待できない)で転学するよりはやめてゆっくりと考える時間が欲しかったわけなんですよね.

早くても今年の4月中には報告できればいいなと思っているので, もし合格通知がきたらその旨や, その経緯などいろいろ書いた記事を書けたらいいな(笑)

 

題名との関連性のある部分なんてほとんど書いてはいないけど, ここまで読んでくれてありがとうございます. 

 

P.S. ツイッターでもそうですが, コンテンツ力のある人って羨ましいと思っているけど, 自分の意見をしっかりと持っているってことなんでしょうか.

 

 

theme 11- 自分を殺し働いている人達へ捧げる.

 今日は改めて受動的に長く生きてしまったがために, 自己を顧みずにどうでもいい人間のために時間という財産を喜んで差し出すという気概を持った人に出会ってしまった. あえて付け加えるのなら, たった一人ではないということが恐ろしいことなのである.

 

 僕は来年上京するつもりでいるということはこのブログで書き記したかどうかはわからないけど(まあ上京する予定なんですよ), そのために11月からwワークという形で早朝とランチ帯の両方のアルバイトをすることになった.  

 元々のメインはイタリアンレストランでのホールスタッフだけど自営業であるがために時給換算で考えてもあまり待遇は良いという働き場所ではないことは確かではある. この勤め先は都合を良くしてくれたりするのでほぼほぼ同情的な意味で今でも辞めずに(今月を含め半年経ったと思う)続けている. 

 

しかし, このままでは上京資金がギリギリになってしまうのでそれはそれで僕が嫌なので, wワークをするに至ったのではあるが, 今回の本筋はこの2つ目のアルバイト先が違う意味でトンデモな働き場所だったということなんです...

 おそらくプライバシーか何ちゃらの法律やらで詳しく記載することはできないけど, ある空港の早朝コンビニとでも書いておく. 

 一応, 早朝なので時給も○, 人員不足はたぶんそこまで深刻でもなく, 勤務時間も希望通りにさせてもらっているが! しかしだ, ''問題なのは従業員の意識が僕の考える労働観と異に反してギャップが生じてしまったことなのである''.

 

 僕は出勤時間より数十分も早く到着したので空港内コンビニ横のベンチ列で座って勤務時間ギリギリまでスキマ時間を利用し勉強でもしようと単語帳を開きやっているとその数分後に早く着いたであろうパートさんが僕を見つけてこう言ったのだ「〜くん, こんなところで待ってないみんなもうオープン作業してるからいきましょ」←きっとこれには悪意はなく, 僕がまだ新人なので戸惑っているのだろうと声をかけたと思う.

 

 僕は内心こう思った「いやなんでまだ15分くらいあるのに出勤しなくちゃいけないの?僕の時間は僕が使いたいんですけど」と.

 

そしてこの声をかけたパートさんを始め, たぶんこのコンビニに勤めている人たちはどうでもいい人間たちのために朝早く起きてのんびりするどころかむしろ勤勉に10分前以上に出勤しお店の準備をする.

確かにお客さんに準備が間に合わずにケチをつけられたら「自分のせい」=自己犠牲だと勘違いしてしまう人も多くいるということが今回の体験を通して感じた. 仕事は早い遅いはきっと関係はなくて, このお店は自分なりに分析してみて余分な量を発注し, 万が一が起こらないように常にストックがないと落ち着かないらしいらしく, 労働ペースが明らかにバランスが取れていないことに気がついた(場所も空港なので人が多く出入りすることも一つの要因にはなるだろうけど)

 

 ただ, なぜそんなにまでして見ず知らずのただどこでもあるコンビニを利用するお客のためにここまで考えて自分の時間を赤の他人に喜んで捧げ, 通算してみても大してよくない時給のためにここまで献身できるのか僕はそれがかなり興味深い点だと感じた. 

 

 しかもここの特筆すべき点はここまで従業員をしっかりと縛り付けることのできるマニュアルによるものだと僕は推測した. 基本自営業だとアドリブが多く求められてしまうのでその点労働的な観点で見ると他と比べると労働的自由はそれなりに保証される. しかし, FC(フランチャイズ)店舗だとそうはいかないらしい. 

 

このFCマニュアル, かなりのツワモノなのだ.

なぜかというと, ただのアルバイトにまで''強い労働的拘束力''を与えてしまっている点にある.

何かすごい脅し文句のような規則が多くそのFCマニュアルには記載されており, 何かこのルールを少しでも破ってしまうとあなた一人のせいでみんなに被害が被るのでやるなというような遠回しに怖いことがほんとに信じられないくらい書いてあるんですよ(笑).

 

 普通アルバイトでもなんでも真面目にやるのが当たり前だなんてそんな価値観は確かに重要でもあるし, 働かせてもらっている以上雇い主には出来るだけ負担をかけさせてたくはない(しかも自分が負担だなんてもっと嫌だ)とみんなそれぞれ同じような心理を抱いているのかもしれない, ただその拘束力はよくよく観察してみるとトンデモないほどのものとみんなにも理解してもらえるだろうと思う(これは既存の価値観で物事を捉えるのではなく, ちょっと懐疑的な視線で見ることがポイント).

 

 経営学をかじったり起業とかに興味ある人からすればこのFCシステム, とても有能で一度確立させてしまえば自分はシステムを構築するだけしてあとは何もせずにどんどん働きアリたちがせっせと働いてくれるなんてそれはそれはもうすごいことなんですよ.

 しかもFCというのはマニュアルも充分すぎるほど揃っているので受動的な人間が大半であるこの世の中にはある意味労働のイノベーションともいえるある種の革命で, そういう人たちにとってはもうイエスキリストを崇めるかのように熱心に信奉し, 奉仕してくれる.

 

 おそらく多くの労働者はこのシステムに自分が自然と都合がいいように取り込まれているなんて微塵も思っていない人が多く, 逆にこれだけ効率良くできて賃金もこれだけもらえるなら充分だ.とか思っていたりしたらもうこの世の終わりだ... 

 

 自分は楽して稼げていると思っているかもしれないがその累乗倍, システムを構築した創案者は何もせずにそれ以上の収益を得ているということに疑問を抱かずに, 逆に崇めてしまう謎の構図ができる.

そしてこの人たちは, 自分の限界を定めてしまっていてきっとこれ先不況という不況がのらりくらりとやって来るまでは喜んで自分を捧げることに快感を感じているに違いない.

 

 僕は残念ながらそのシステムに組み込まれることは死んでも嫌だ.

 

 自分の人生を赤の他人のために喜んで差し出すのなんてもっと嫌だ.

 

どうして安定を求めるのだろう??

安定の先に待っているのは幸せなんかじゃない, 一つの生物的な死だけだ.

 

 僕はこのシステムの元, 忠実であり受給的に給料をもらうことに満足しているような人生なんて生きられたもんじゃない.

 ただ, FCシステム(でも何であれ同じようなシステム達)自分が働かずともシステムが正常に機能しているだけでお金を産むシステムを構築することができたというだけでもそれはもう僕の半ば憧れでもあり目標でもある.

 これさえ作ることができれば, いままで普通に自らの時間を対価として得ていた給料が無条件で利益を得ることができ, 自分はその中心に立っているだけでゴルフをしていようとカジノでギャンブルをしていようとシステムが止まらない限り延々と作動し続ける夢の収益システムへと早変わりするんだ.

 

 だけど, どうしてみんな同じようなことを考えない? いや, ひょっとすると考えている人もいるかもしれないが, 給料をもらうことに慣れている人はそのシステムを作るための時間があれば自分はシステムに組み込まれていた方が安全だと.

 

僕は断じて嫌だね(笑).

 

 僕は今はアルバイト生で何も突出したスキルを持ち合わせていない人間に見えるかもしれないが, みなが安心してレールを走っている内は競合相手も少ないし, むしろ僕にとっては好都合なのかも.

 

 みんなが安全を求めて努力をしている間, 僕は時間はかかれどシステムを作るために様々な本を読んでアルバイトを通して経営システムを直の目で確認して吸収するそして, 少し理想をあげればそれに付き合ってくれるパートナーやよき師にも出会えたらいいなと思う.

 

 話は大きく脱線してしまっているような気もするが,

結論として僕らは自分の時間軸で生きているように思えて実は逆に他人の時間軸に無意識に合わせてそれに自由を感じて満足してしまう傾向にあるということが僕が色々なアルバイトを通して感じたいわば, 経験則による知見だ.

 

僕らは鳥よりも自由であることを忘れてはならない.

 

自分で好きなように時間を扱うことこそが真の自由でそこには僕ら人間だけあ到達できる理想郷がそこにはある. そこにたどり着くにはお金持ちでなくとも貧乏人であろうと誰でもその場所には行けるが, 僕にはまだまだ時間が多く必要とされているし, 行ったところでそこで満足できることもないかもしれない.

 

働くことは怖いことだ. 

ましてや, 働くことに慣れてしまっている内は特に注意すべきだ.

 

 

最後に,

ここまで読んでくれてありがとう.

これまでの僕の主張が伝わってくれれば僕は嬉しいし, もし共感してくれるならきっとどこかで僕と出会っているのかもしれない(可能性は0じゃない).

これを読んでつまらないと思った人には素直に謝罪したい. なにせ僕がただ鬱憤を晴らすためだけに書いたようなこの記事を一言一句読んでくれたからだ. 読んでくれてありがとう.

 

 

おしまい

 

 

P.S.

 働くことが美徳って誰が最初に言ったんだけなぁ...まるっきり覚えてないです(笑)