History of Cava

-あるいは隣の億万長者でいっぱいの世界。

theme 15- 充填された意識

 

更新頻度はあいかわらずだけど, 月一単位での更新が割と気兼ねなく書くことができたりするようなしないような気もありますがアクセス数等は一切考慮していないこともあって, そこまで必死こいてブログを書く意味はないです(笑).

しかし, 自分の中にあるナニカを絵で描いてみたり, スポーツで体現したり, それこそ僕の場合はこうしてブログを書いているわけですから文字に起こしたりとそのナニカを表現するということはかなり重要なことなんじゃないかと僕は常々思ってたりする. それはなぜか, 僕らは常に何かしらの圧力や環境変化etc..といった, 自分1人個人の力では到底変えようもない絶対的であり自然的な力に晒されているからなのです.  特に, 昨今ではsnsを中心としたインターネットでのインフラがほぼ普及し, 従来では一生の間にたぶん(いや99%誇張かもしれないが)出会わないであろう人たちと, 知らず知らずのうちに液晶の画面越しではあるが出会うことになる. 僕が生まれる前までは, 物理的に人と人とが直接的に出会わなければならないといったことがなくなることで, 比較的容易に従来と同じように出会うようなことができる時代になってしまっている.

おそらく, これらが吉と出るか凶となるかで人によっては大いに関係したりするのにもかかわらず, これらの見えない繋がりは僕を緩く締め付ける.

 

逃げる術はない.

巷ではスマホを捨てよ, インターネットをするな等さまざまな謳い文句を掲げる人間も多いが, 僕個人の主観ありきで言わせてもらうとすれば, そのようなことばかり気にしているようでは結局のところ, みな繋がりが切りたくても切れないことに対して不満を抱いているのではないかと思う. 完全にこの世からの全てのアクセスを断とうものなら, そもそもブログなんて書くわけがないだろうし, わざわざ発信するようなことをせずに1人で勝手に実行し満足してればいいのだ.

 

見えない鎖で僕は, いや社会に知らず知らずの内に繋がれている僕らに希望的観測というものは果たして存在するのだろうか. あるとすれば, それは真に周りのテクノロジーを放棄し, 原始的な, あるいはそれに近い半自給自足な生活をすることが求められるのだろうか. 答えはない.

 

それを自分はこうこうこういう状況があって今に至るみたいな話しは, 「うん?あなたはなんだかんだ戻ってきているじゃない」. もはやこの世界で生きていく以上は繋がりはIT環境が整っていなかった時代と比べると呼吸するのと同じくらいごく自然なものにまで人間に纏わりつき, 癌のように転移する人がささやかな人生を終えるまでは切り離せない領域まで浸透しているのだ.

 

抗ってはいけない. これは川の流れのようなある方向に対してのみ働く代物ではないからだ.

例えるのなら, 脳神経のニューロンをイメージするといいのかもしれない(僕もあまり詳しくはないが).一見単純そうに見えるモノであるが, 蓋を開けてみるとわかるようでわからない. 理解しようにも人間を理解しようなんて大層れたことをする前にこちらの気が滅入ってしまう. このように考えに考え過ぎると精神に悪い. 最悪, 毒を吐きまくる上に, 周囲の人間にとっては有害極まりない, 社会的に駆逐しなければいけないようなことにまで発展してくる. だが, 僕らそこまで愚かでもないし, 皆は自分の方がどこかその他の人間よりも優れていると密かに抱いていたりするものなんだ.